ぼくは三人兄弟の長男であるが自宅に仏壇はない。これは幸いにも両親が健在で、そちらにある仏壇がいわゆる祖霊を祭る役割を果たしているからで、いずれは「慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者」として仏壇を管理することになるのだろう。それはそれで意義のある慣習だと思うし、その覚悟もしているが、ぼくは「家」という制度が消滅した現在では、仏壇というものが祖霊のお守りをするという以上の、もっと広い視野からとらえられても良いのではないかと思う。
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記憶の保存庫としての仏壇そう思ったのは、ぼくの親の家の仏壇には長男である父方の祖父母、曾祖父母の位牌ばかりではなく、昔流に言えば直系の先祖に属さない母方の祖父母の遺影や、さらには父、母それぞれの亡くなった友人の写真が賑やかに飾られているからだ。このように家の直系以外の死者の霊を写真の形で祭るのは、直系の祖先の位牌ほどの重々しい儀礼性はなく、かといって写真をアルバムの中に秘めるのに比べれば死者に対する敬虔さの表現になっている。キリスト教圏の家庭では小さな厨子のようなものはあっても、仏壇のように中に写真を入れられるほどの大きさはないためか、壁一面を一種の祭壇にして死者の写真を飾っている例が多い。